無意識に刷り込まれた手段

確かに小学校の時は「よくできんたねー」ということで、子供は喜びます。
「ほめて~、俺ほめて~」
褒めてもらいたい、父母に褒めてほしい

つまり親のために頑張っていた。

親のために頑張るという気持ちは中学生になってもありますが、中学生になると、親の敵が現れます。
自我を形成するためにどんどん脳が発達し、反抗期がやってきます。彼が強敵なんです。

覚えていますか、反抗期。
きれにきれまくっていたあの日を…

親に「遅くまでどこにいってたか!」と聞かれれば、友達の家たい! 
実は、彼氏と公園にいたりするんですけど^^

早く起きなさい!
といわれれば、
うるさい!
と言い
親がおこさなければ、
「何で起こしてくれんとね!」
と理不尽にキレ
覚えていますか反抗期

そんな時期が中学生です。
親が思っているよりも賢くなっています
褒めて勉強させようとしてる…
と気づかれているかもしれません。

世の中には悪い人もおるけん、だまされんようにせなんよ

と教育してしまったばっかりに、
だまされんぞー。勉強させようったって、そうはいかんぞー。
もちろん褒めることは大事です。
ただ、ほめる=成績を上げさせるために
という手段になっている。
現在の世の中、無意識に刷り込まれている気がします。

褒める ということなのか
私はこう思います

褒める目的とは、相手を笑顔にされることである。
相手を笑顔にさせたいから褒める。

子供が生まれて、
赤ちゃんの時、お風呂に入れる時、首の座らない我が子を慎重に洗ってあげた。

それから、すくすく育ち1年がたったころ、

歩けるようになった。
「わーすごいねぇ。3歩も歩けるようになった」
子供に言ったでしょう
競歩で一位になる目的でほめていたわけではないと思います。

更に月日がたち
積み木を、高く積み上げ、ブロック遊びで、家を作ったりすることができただけでも
「わー上手にできたね」
大工にさせる目的で褒めてはないはずです

ただ、子供の笑顔が見たい
心から子供の成長をすごいと思ったからではないでしょうか

小さいことかもしれませんが、出来なかった問題が解けるようになるのも子供の成長です

成績が上がるのも子供の成長の一つです

今までそうだったように、ただ純粋に、子供の成長に対して褒めるということを言ってみてはいかがでしょう

今まで学力を伸ばす目的の為に 褒める という無意識に刷り込まれた状況から視点を変えてみてはいかがでしょうか