記憶補助ツールの過剰依存と人間の認知負荷についての一考察

現代社会において、人間は自身の記憶能力や認知機能の限界を、テクノロジーの補助によって拡張することが一般化している。私自身も、自らの記憶力に不安を覚えたことを契機として、この傾向について考察するに至った。

現代人の多くは、メモ帳アプリやスケジュール管理ソフトなどのツールを活用し、「忘れる前に記録する」「予定はアプリで管理する」といった行動様式を当然のものとして受け入れている。もはや情報管理においては、自己の記憶ではなく、外部のソフトウェアが主たる役割を担っていると言っても過言ではない。

このような状況において、「忘れていた」という事象に対する反応も変化している。かつては自身の記憶力を問題視したかもしれないが、現在では「アプリへの入力を忘れていた」という、外部ツールの操作ミスとして処理されることが多くなっている。ここに、現代人の記憶認識に対する構造的変化が見て取れる。

しかしながら、こうした情報補助の常態化が、人間の脳に過剰な負荷をかけているのではないかという懸念がある。本来の人間の脳容量を超えた情報処理を求められることで、無意識のうちに慢性的なストレスを抱えている可能性があるのではないか。これは、情報過多による「認知的オーバーロード」状態ともいえる。

このような疑問は、太古の人類との比較においてより顕著となる。原始的な生活様式においては、すべての情報が自身の脳内に蓄積され、管理されていた。当然ながら、外部記憶装置は存在せず、記憶できる範囲で生活が営まれていた。つまり、情報処理の限界を超えるような状況自体が存在しなかったのである。

このような観点から、現代人も「記憶の範囲内で生きる」というライフスタイルを見直す必要があるのではないかと考える。具体的には、スケジュール帳やメモアプリといった記録手段に頼らず、自らの脳で管理可能な範囲に生活や仕事の情報をとどめるという方針である。これは、情報の総量を制限することにより、精神的ストレスの軽減や、日々の満足度向上にも寄与する可能性がある。

たとえば、小学生や中学生のように、自分の予定や人間関係を自然と記憶し把握する生活を思い出すべきである。記録に頼らずとも管理可能な範囲で生活を組み立てることは、本来の人間的営みに近いといえる。

また、リアルな紙のメモ帳すらも、人によってはストレスの要因となることがある。記録されたToDoリストや予定が増加することで、それに追われる感覚が生まれ、結果として精神的圧迫感が生じるのだ。

加えて、スケジュール帳が「行動の記録」であるとするならば、日記は「感情や内面の記録」である。しかしながら、日記にまで記録しなければならないような情報は、本当に生きる上で必要なのだろうか。感情までもが「保存すべき情報」とされる時点で、既に人間の処理能力を超えた範囲に達しているようにも思われる。

結論として、現代人が外部ツールに依存することで脳への負荷を軽減しているように見えて、実は別種のストレスを生み出している可能性は否定できない。人間本来の記憶力に適した生活スタイルへの回帰こそが、真に健全な心身の在り方を取り戻す鍵となるのではないかと考える。


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白石泰宏プロフィール


白石泰宏(しらいしやすひろ)1980年生まれ。国立熊本電波高専電子工学科卒業後、航空自衛隊に勤務。退官後、海外に15か月の留学。家庭教師、大手・個人塾講師を計3校経てひまわり教室を開校
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